1979年 熟練の職人技をコンピュータ化 先端技術のイメージスキャナーも自作

【カラー画像自動読み取り装置と紋紙加工システムの開発】開発:1979年

熟練の職人技をコンピューター化 先端技術のイメージスキャナーも自作

国産初のホビー機で工場管理システム

代表取締役社長 細野昭雄創業後5〜6年は、主に地元織物工場の自動化を手がけていた。アイ・オー・データを創業した3年後の1979年に開発したのがオンライン織布工場管理シス テムである。工場に200〜300台並んでいる織機が、稼働しているかどうかを自動的に検知する。織機が止まっていれば、経糸と緯糸のどちらが切れている かを判別し、稼働率を計算した。


この年、NECが国産1号機として開発したTK-80や富士通のLKIT-16をこのシステムの頭脳部分に使った。当時まだ普及していないマイコンを理解してもらうための「トレーニングキット」として発売されたセットであったが、細野は実用マシンとして使いこなした。

試行錯誤でスキャナーを自作

200ミリ×1200ミリの反射式スキャナー織物工場の仕事をしていく中で、「織物の図案を型紙に切り抜く工程をコンピュータ化できないだろうか」と相談を受けた。 織機にセットする型紙は、織物の図案通り切り抜いていく。この型紙を紋紙という。紋紙作成に当たっては、熟練の職人技が要求された。微妙な筆加減、力加減によって、仕上がりに大きな差が出るのである。切り抜きミスも許されない。保存できないため、毎回使い捨てになるのもコスト高の要因になっていた。


自宅の作業場で試行錯誤の毎日が始まった。 当時は国産初のイメージスキャナーが開発された頃。スキャナーは高価で買えなかったため、試行錯誤しながら1200ミリ×1200ミリの反射式スキャナーを自作した。


作業の手順は、手書きの図案をイメージスキャナーで読み取り、必要があればコンピュータ上で色や柄を修正し、紋紙を作成するというものだった。 アルミ製のドラムに図案を貼り付けて回転させ、カラーセンサーを横に移動させながら読み取っていく。ドラムの回転速度や角度をカウントしておき、このアドレスのスキャニングデータを展開すれば、画像が表示される仕組みだ。

発想の転換こそがシステム生みの親

スキャニングまでの処理を16bitマイコンで行い、画像処理にはミニコンを使用した。織物は800-900本の縦糸で織られているため、縦糸1本分の幅を1画素として読み込んで、1本1本の色をきちんと判定していくことで、全体の柄が見えてくる。そのために、ミニコンによる高速処理が欠かせないと考えた。 同時に、細かな部分を拡大して見たり、全体の雰囲気も見たいという理由から画面スクロールを発想した。ハード的にもソフト的にも、当時の技術では無謀ともいえるシステムだったが、細野には秘策があった。大量のメモリーを積み、読み込んだデータを全て展開しておくことで実現できるはずだ。画面スクロールは、「表示させたいデータのアドレス」を次々シフトさせていけばいい。この方法で、縦方向でも横方向でも高速スクロールさせられる。


当時のカラーモニタ(320×200ドットほど)で表示させるためにも、メモリーが重要なカギになった。『必要なだけのメモリーを購入しようとすると、代金がミニコン本体を買うくらいになるんですよ。これでは到底採算があわない。それで、半導体メモリーを外付することでコストを10%以下に抑えました。また後日システムを見に来たミニコンメーカーの技術者が「うちのミニコンに、こんなことができる機能は付いていない。なぜこんなことができるのか教えて欲しい!」と驚いて聞いてくるのです。この発想の転換と技術こそがアイ・オーの原点だと思います。』と細野は語る。

〜1979年の出来事〜
・イラン革命が起こり、翌年のイラン・イラク戦争につながっていく。
  アジアでも中国軍がベトナムに侵攻(中越戦争)、米国ではスリーマイル島原発事故が発生した。
・インベーダーゲームがブームになる。
・自動車電話サービスが始まる。
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