ディスクは回り、時間は流れる
私は、小学生のとき“新聞の切り抜きマニア”だった。 それで、小学生が使うにはあまりにも“切れ過ぎ”の本物のハガネのハサミを持っていた。 新聞なんか刃を当てたら軽く押してやるだけで、サーッと、どこまでも切れていくようなスゴイ奴だった。 母親の実家がノコギリを製造していて、長男以外の息子たちはみな金物(ハードウェア)屋になっていた。 たぶん、そうした関係もあったのだろう。
切り抜きの目当ては、『朝日新聞』の水曜「科学面」とか、当時、盛んだった米ソの宇宙開発競争やサイエンス関係の記事だった。 私は、1956年生まれなので、ちょうど日本最初のコンピュータである「FUJIC」が誕生したのと同い年ということになる。 そんな時代だから、コンピュータに関する記事も、いくつか切り抜いたのを覚えている。もっとも、 当時は、「コンピュータ」ではなくもっぱら「電子計算機」である。いま考えると 1960年代になぜ?とも思えるが、 「人工頭脳」とか「電子頭脳」という言葉もまだ使われたりしていた時代である。
日本最初のコンピュータ「FUJIC」。富士写真フイルムにいた岡崎文次が、難航する国家プロジェクトなどを尻目に、 ほとんど一人で作りあげてしまった。FUJICについては拙著『新装版 計算機屋かく戦えり』 をご覧あれ。
そんな中に、ハードディスクに関する記事があったのをハッキリと覚えている。 小学校の3年生くらいから新聞記事の切り抜きに精を出していた私だから、コンピュータに関しては、理科や算数の先生よりも、 はるかに詳しかった。「へぇ」という程度に思われるかもしれないが、当時は、コンピュータという存在自体が、 ほとんど一般には認知されていなかったのである。 1956年刊行の平凡社『世界大百科事典』(初版)には「計算機械」の項目に「電子計算機」の紹介があり、 1959年刊行の“テ行”の巻には「電子計算機」もある。しかし、1966年の『ウルトラQ』でさえ、コンピュータは、 ほとんど顔を出さないのを見ても分かるだろう。NHKの『ものしり博士』(1961〜1966年に放送された人気番組)では、 コンピュータの回があった。 ケペル先生が、豆電球を使って2進法の説明をしたのだが、当時としてはメチャメチャ尖った内容だったと言える。
最初期の磁気ドラム記憶装置。当時は、主メモリをどう作るかが大きな課題で一次記憶としても使われた。 写真は、FUJICとも『コンピュータが計算機と呼ばれた時代』より。
その円盤型の記憶装置(ハードディスク)は、将来とても有望な記憶装置であると書かれていたと思う。 それまでの磁気記憶装置といえば「ドラム」型で、円筒の外側にデータを記録していた。 ちょうど、エジソンの最初の蓄音機のようなもので、円筒が円周方向に回転して、ヘッドはそれを縦になぞるように移動する。 しかし、円筒形の磁気ドラムでは、回転が高速になると直径が大きくなりヘッドと接触するといったことが起こる。 それに対して、磁気ディスクでは、速く回しても平気だし記録面も大きくとれる。 もっとも、私が、本物のハードディスク(固定磁気ディスク記憶装置)を自分で自由に使うようになるのは、 それからずっと後になってからのことである。
母親の実家のオジサンたちが金物屋になったのに対して、私はソフトウェア屋になってプログラムを書いていた。 直径30センチはありそうなのに1MBの記憶容量しかない1枚ものの「ディスクパック」やら、ハードディスクの アパートみたいなIBMのその名も「集団ディスク装置」やら、いろいろなハードディスクを扱った。 ある電子交換機の仕事では、デバッグ中に、コンピュータのパネルから機械命令を1つずつ与えて、 データを1バイトずつ書き込んだこともある。1ビットずつオンオフを設定して、 ボタンを押すとハードディスクに直接データを書いてしまうのである。 しかし、私のコンピュータの経験の中で最も感動したディスク装置は、DECのVAX-11/780にぶら下がっていた、 たしか600MBのディスクパックである。洗濯機のようなドライブ装置に装着すると中身が見えるようになっていて、 バリバリバリと読み書きする音は、なんともシビれるものがあった。
ところで、新聞の切り抜きってどうしたのか? それが、実家が引っ越したときに箱に入ったままどこかへ行ってしまったのだ。暗い趣味の思い出といわれそうだが、これがなかなか楽しかった。 小学生のときから新聞切り抜きで科学系のニュースを追っていて、大人になってパソコン雑誌でニュースを追っている。 要するに、私のやっていることはあまり変わり映えしていない。
遠藤 諭(えんどうさとし)
1956年長岡市生まれ。株式会社アスキー取締役。プログラマを経て1985年アスキー入社。
1991年より『月刊アスキー』編集長。2003年より現職。雑誌編集のかたわら、
ミリオンセラーとなった『マーフィーの法則』など書籍の企画も手がける。













