“マイコン”との出会い
僕が最初にコンピュータなるものに興味を持ったのは確か10歳の頃。昔からあまり外で遊ぶことはせず、 家で電子ブロックばかりいじって遊んでいた僕にとって、コンピュータへ興味が移行するのはごく自然なことだったんだと思う。 劇団の仕事の帰りに立ち寄った本屋で、コンピュータ雑誌『RAM』の創刊号を見つけてから、その情熱に火がついてしまった。
実際にコンピュータに初めて触ったのは、新宿にあった『ムーンベース』というコンピュータ・ショップ。 小学生が来るなんてことは珍しかったのか、店員の人たちもすごく親切にしてくれ て、店にあるコンピュータを触りたいだけ触らせてくれたことを覚えてる。 ここで確かBASICの基礎やキーボードの使い方を覚えたんだった。
ムーンベースで味をしめた僕は、コンピュータ雑誌で新宿にある他のショップを検索。 『タンディ・ラジオシャック』という店にTRS-80というコンピュータが置いてあって使えるらしいということを発見して、 早速自転車で行ってみた。ここには一台だけコンピュータが置いてあるだけだったんだけど、やっぱり店 の人はすごく優しくて、いつ行ったときにも快く使わせてくれた。このTRS-80は、 この頃PET-2001というコンピュータとライバル関係のような位置にあって、アメリカ製の“マイコン”の人気を二分していた。 PET-2001はムーンベースで触ったことがあったんだけど、僕はなんとなくTRS-80の方が自分に合ってる気がした。なんでだろう? PET-2001のキーボードがあまりにもチャチで、TRS-80の方がカッコよく思えたからかもしれない(笑)。
若かりし頃の難波氏。ご本人曰く「中学1年くらい?」とのこと。 難波氏が向かっているのが、本文にもあるタンディ社のマイクロコンピュータ「TRS-80 Model I」。キーボードに見えるのがTRS-80の本体だ
タンディ・ラジオシャックには当然のごとく毎日学校が終わると通っていた。
毎週末には“バックアップ・メンバー”と呼ばれるTRS-80ファンの人々が非公式に集まってた感じで、
土曜日になるといろいろな人がこのショップに来て、彼らが手に入れたという新しい情報やプログラムなんかの交換をしてた。
だから劇団の仕事なんかでショップに行けなかった次の週は、みんなが話してるプログラムの話題についていけなくて悔しい思いをしたっけ。
今から考えても、ものすごい速度で情報が流れてたと思う。毎日毎日新しいソフトウェアの情報や新たなテクノロジーの話題が入ってきて、
少し油断してたらすぐ置いていかれてしまう感じ。でもその刺激的なところが本当に好きだった。
子供には高すぎたフロッピーディスク
当時僕は小学6年生から中学1年生くらい。劇団の仕事では大人の声優さんたちと話をしたりするけど、 やはり大人と子供の境界線がくっきりと会話に現れていた気がする。ところがこのTRS-80のバックアップ・メンバーの人たちは みんな僕よりも年上(同年代くらいから40〜50代の人まで)なんだけど、興味の中心が同じというだけあって、 ほとんど同じ目線で会話できたように思う。大人の人たちと同じ趣味のことについて話し合えるというのは、 他では絶対に味わえない魅力だった。学校や劇団ではコンピュータの趣味を持ったヤツが一人もいなかったしね。
TRS-80には標準メモリが4KB搭載されていて、それを16KBに拡張するのに6万円以上もかかっていた時代。 もちろん一般的な記憶メディアはカセットテープ。テープの種類やプレイバック音量のちょっとした違いで、 記録したプログラムが読み込めなくなってしまうこともしばしばあった(あぁ、恨めしやチェックサム・エラー)。 バックアップメンバーのみんなと、どこのメーカーの何というカセットがプログラムの保存には一番適しているとか、 そういったくだらなくも切実な話題で盛り上がったりしてたっけ。
5.25インチのフロッピーディスクドライブがタンディ・ラジオシャック新宿店のコンピュータに取り付けられた日は、 他の人がフロッピーディスクを使うのを本当に興味深々と見ていた。DOS(ディスク・オペレーティング・システム)なるものがTRS-80の上で 動いているのを見るのも初めてだった。「え?“ドス”って一体なに? BASICはどこに行っちゃったの? フロッピーディスクって、カセットテープみたいにSAVE/LOADで使うものじゃないの?」ってな感じで、 自分の知っていたコンピュータが新しいパラダイムに移行してしまったような、そんな驚きを味わっていた。
フロッピーディスクドライブが店に置いてあるとなれば使わないわけにはいかない。 でも当時のフロッピーディスクは定価で確か一枚2,000円くらいしていたので、子供がホイホイ買えるような代物ではなかった。 小遣いをためてやっと一枚ディスクを買えたときには、なんだかちょっと偉くなったような気がしたっけ。 本当は片面でしか使えないフロッピーディスクにハサミで切り込みを入れて(プロテクトノッチとインデックスホールのところ)、 無理やり両面で使えるようにできるなんて情報がバックアップ・メンバーから入ってきたときには、その情報の主に心から感謝したなぁ。
「ハードディスクって何を入れるんだろう?」から四半世紀
そんなこんなで自分が持つフロッピーディスクも十数枚と増えた頃、タンディ・ラジオシャックの店員の人に「いいもの見せてあげる」 と奥の部屋に連れて行かれて、生まれて初めてハードディスクドライブなるものを目にした。 本で読んでどんなものかは知っていたものの、実際に見るのはこれが初めて。ブリーフケースほどの大きさで、 アクセスするたびにキュンキュンと鳴いているような騒がしい音をたてるこの機械。確か容量は4MBだったと思うけど、 その頃の僕には“ メガ”なんて単位はとても遠く感じていて、「このハードディスク容量いっぱいにデータが詰め込まれるなんてことが あるのかな?一体何を入れるんだろう?」なんて疑問を持っていたのをはっきりと覚えている。 ハードディスクドライブが使われるのはビジネスの世界だけなんじゃないかって、本当にその時には思っていた。
あれから約四半世紀。先月買った僕の新しいコンピュータには、メインドライブとして250GB、 ビデオキャプチャ用のセカンダリドライブとして160GBのハードディスクが入っている。 まさか250GBのドライブが一杯になることはないだろうなんて思っていたんだけど、 ふと気づいてみると1/3の容量をもう使ってしまっていたりする。気がつくと、まさに湯水の如くディスク容量を使っちゃってるんだなぁ。
小さなボディに60GBの容量を持つiPodにも驚いたけど、もう四半世紀もするとテラを超えてペタとかいう単位が当たり前に なってるのかもしれない。ハードディスクドライブを初めて見たあの日には、 その中に音楽や写真を当たり前に入れることになるなんて思いもよらなかった。僕としては、四半世紀後の世界に、 どんな記憶媒体でどこまで記憶容量が膨らんでるかっていうことよりも、 一般の人たちがその中にどんなデータを入れることになるかって方が興味があったりする。
難波克弘(なんばかつひろ)
1967 年東京都生まれ。幼少時より劇団に所属し、ドラマ「1年B組新八先生」に子役として出演する一方、
声優としてSFアニメ「銀河漂流バイファム」の主人公ロ ディ=シャッフル役、「タッチ」「陽あたり良好!」
「大草原の小さな家(吹替)」などで活躍。大学卒業後にマイクロソフト日本法人に入社、
93年より Microsoft本社(ワシントン州シアトル)に勤務。ソフトウェアエンジニアとして「Microsoft Word」の
罫線機能の開発に携わり、社内では「Mr.罫線」の異名で呼ばれたことも。













