1980年 ホビー機を実用マシンに変身

【MZ-80シリーズ 周辺機器】開発:1980年ごろ

ホビー機を実用マシンに変身

必要に迫られ周辺機器を開発

技術支援部品質管理課  森 章 (当時ハードウェア開発担当)アイ・オー・データがパソコン周辺機器を開発するきっかけとなったのは、創業当時から取り組んできたシステム開発の中で、必要に迫られてのことだった。


アイ・オー・データが創業した1976年、NECが国産マイコンの第1号機となる組立キット「TK-80」を、79年にはシャープがモニターとキーボードを一体化した「MZ-80C」を発売した。 いずれも8ビットマシンで、ホビー機として位置づけられていたので価格が安い。当時コンピューターは高価で、数百万円もする時代である。大企業ならともかく、中小企業や一般消費者にはとても手が出ないものだった。


当時ハード部門を担当していた森章は、「安価なホビー機にデータの入出力装置を自製して取り付ければ、コスト的に大幅に抑えることができ、ホビー機でも十分実用機として利用できるのではないか」と考えた。 そして森はさまざまな機器を開発していくこととなる。その多くは実際に製品化されることになり、ホビー機を実用機として用いるのに十分な装置であった。

カラーグラフィックボード

MZ-80シリーズ業務用システム開発をしていくと、日本語での指示や説明が欠かせない。ところが8ビットマイコンでは漢字を使えない。記号とテキストを組み合わせて簡易漢字を作ることもあったが、限界があるのは明らかである。そこで森は漢字ROMを作った。


『これらの機器類を電子マニア向け雑誌の1ページ広告で紹介したんです。全国から「売って欲しい」と注文が殺到したんですよ。びっくりしました。』これで自分たちが開発した周辺機器の意義を知ったと森は語る。 さまざまな周辺機器を作成していくなかで、特に注目すべきはシャープ「MZ-80B」(80Cの後継品)専用カラーグラフィックボードである。当時としては広大な64KBものメモリーを搭載しているが、標準搭載モニターはモノクロ表示のグリーンディスプレイだった。 『NECが79年に発売したPC-8001は、MZシリーズと同じ8ビットマシン。しかも16KBしか積んでいないのに、専用モニターを使用することでカラー表示(8色)させることができた。「80B」もなにか方法があるのではと検討してみたら、あと2ビット増設することで最大8色までのカラー表示が可能と分かった』と社長の細野。発売と同時に大ヒットしたことから、時代に待望された製品だったことがうかがえる。


当時は、CPUやパソコンの世代交代がめまぐるしい時代。それと歩調をあわせるようにアイ・オー・データが新製品を出すピッチもめまぐるしいほど早かった。

〜1980年の出来事〜
・巨人軍の長島監督が辞任、王選手が引退。
・歌手の山口百恵が引退。
・日本の自動車生産台数が1000万台を突破、アメリカを抜いて世界一になる。
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