【グラフィックボード「GA-1024」シリーズ】開発:1991年
CADソフトメーカーからの依頼
当時普及していたNEC製PC-9800シリーズの画面サイズは640×400ドットという現在からすれば低解像度のグラフィック機能しかなく、1991年に発売されたWindows 3.0においても画像が狭く使い勝手が非常に悪かった。
また、MS-DOS上で動作する一部のCADソフトでは対応のグラフィックボードによる高解像度化が可能であったが、そのボードは1枚100万円とあまりにも高く個人レベルで購入できるものではなかった。そうしたなかで、CADソフトメーカーから「安価なグラフィックボードを開発してもらえないか。 1677万色と1024×768ドットが実現できれば、描画速度が遅くても構わない」と相談された。CADソフトメーカーも、より低価格なグラフィックボードを求めていたのである。
図書館で調べてゼロから開発
これまでグラフィックボードを開発したことはない。開発を担当した城之前伸一は『右も左も分からないまま、開発をスタートした』と振り返る。 増設ボードの拡張方式については、米国ではAT互換機用の規格が確立されていた。しかし、データの処理方法が、PC-9800シリーズとまるで異なる。独自に開発していくしかない。 『開発に成功したから良かったものの、設計ミスがあったら一回で数千万円の損失になった。当時はあまり考えていなかったけど、とんでもないリスクを背負った開発だった』(城之前)
高速描画への挑戦
半年がかりで開発したのが、PC-9800用「GA-1024i/GA-1024W」。大画面化に成功すると、次は描画速度の遅さが気になる。そこで描画アクセラレータを搭載した「GA-1024A/GA-1280A」を開発した。 『とくに苦心したのが、描画アクセラレータの開発。描画アルゴリズムを図書館で調べ、ハードウェアに実装する際の動作を(当時はまだ使われていた)BASICで作成して検証した。VHDL等のハードウェア言語はまだ普及していないので、描き直しに次ぐ描き直しで、回路図は数百枚は描いたと思う。』(城之前)
アイ・オー・データのグラフィックボードが市場で評価された理由は、高性能&低価格だけではなく、当時メジャーなMS-DOSのアプリケーションにおいても高解像度の表示を実現したことだった。
城之前は『製品の仕様を公開して、ワープロソフト一太郎のジャストシステムと、表計算ソフト123のロータスに採用を働きかけました。ワープロならページ全体を広げたり、文中にイラストや写真も取り込んだりもできる。表計算なら、より多くのセルを表示できる』とメリットを訴えた。アクセラレータを使うことでCPUの負担が減り、Windowsが速くなるのもメリットだ。 その後、DOS/V機の時代になって、グラフィックボードの環境は大きく変わる。海外製のチップを使うことで、より低価格のボードを提供できるようになった。
『最近はチップの高性能化が著しく、CPUでできない仕事をすべて引き受けられるほど。やる気と知識と原画があれば、ホームPCでアニメだって創れる。作品に打ち上げ花火を使いたければ、花火の軌跡まで計算してくれる』と城之前。新たな使いこなしと活用の時代が始まっている。