【外付けハードディスク】開発:1995年
リスクをチャンスに変えて
時は1995年。年末にWindows95の発売が予定されていた。
前バージョンWindows3.1は普及率が低く、主要OSであるMS-DOSは、PCのハードウェアリソースに対する要求は低かったため、 Windows95の発売はPCメーカーや、周辺機器メーカーにとっては大きなチャンスであった。 アイ・オー・データでも、メモリー専業から総合周辺機器へ転身する過程でハードディスクへの参入はそれ以前からも幾度となく検討されたが、ハードディスクの物理的な不良・破損のリスクが高いことを懸念し見送ってきた。
『ハードディスクは、ヘッドとディスク面の間隔が非常に狭い。半導体メモリーが主力の当時のアイ・オーにとって、可動部があって壊れやすいハードディスクへの参入は非常にリスクがありました。また当時は先行メーカーが高いシェアを握っていて新規参入は厳しい市場になると予測しました。Windows95がヒットしなければハードディスク事業への先行きは限られていました。』と当時ハードディスクの開発に携わった土田拓は語る。
それでもWindows95の可能性に賭けた。 秋葉原では発売前日から長蛇の列ができ、午前0時の発売解禁をカウントダウンで迎え一気にWindows95ブームが巻き起こった。それまでパソコンに興味を持たなかった人たちにまで一気に消費層が広がって、パソコンビジネス全体のマーケットが一気に広がった。アイ・オー・データもその波にのりますます市場の要望にこたえる製品開発が進んだ。
Windows95が浸透したことで、ユーザーの間では「少しでも早く、少しでも大容量」を望む声が高まった。 95年の「HDSシリーズ」のリリース以降、ハードディスク事業は順調に滑り出したが、その先には激しい価格競争が待っていた。『メモリー事業で得たPC 本体メーカーとのパイプやユーザーサポートのノウハウが強みとなり、激しい価格競争においても、一気に大きなシェアを得ることができました』と土田拓が語るように、ハードディスク事業においても短期でユーザーの支持を得たのである。
激戦の中で誕生した「i-CONNECT」(アイ・コネクト)
一方で、PC98の寡占から、DOS/Vの台頭を迎え、パソコン業界は地殻変動の真只中だった。パソコンと周辺機器を繋ぐインターフェースもめまぐるしく変わった。SCSIが登場し、SCSI-2やSCSI-3、続いてウルトラSCSI、IDEに代わり、現在ではUSBやUSB2が主流になっている。
このインターフェース技術の世代交代に当たってアイ・オー・データは2000年に独自の 「i- CONNECT」という新しいコンセプトを打ち出した。 「i- CONNECT」は、新規格が登場しても、ケーブルを追加するだけで対応でき、製品を陳腐化せずに済む。
時代の変化に、新たなコンセプトを取り入れることで「アイ・オーの製品なら安心」というユーザーの支持を得ることができた。 ハードディスクへの参入はメモリーのアイ・オーから、総合周辺機器のアイ・オーへ踏み出したきっかけとなった。